実家で僕の両親と一緒に暮らす、ウェルシュコーギーのポチ公(愛称ポチくん)。
真っ白い顔が特徴のポチくん。
15年前、僕がペットショップで働いていた時に、お店に入荷されてきました。
店頭に並んだ直後から人気者になり 多くのお客さんが「かわいいかわいい」と言ってくれるのですが、物珍しさで注目を集めるも結局「飼いたい」という人は現れませんでした。
そこで僕が飼うことを決意。
当時の専務に「私が買います」と申し出ると、「あぁ、あのミスカラーの仔ね」とかなり安い価格で譲ってくれました。賛否あれど血統や色、模様の入り方で値段が変わるこの世界。ポチくんが白い顔で生まれてきたのは、きっと我が家に来るためだったんだと思います(^^)
その数年後 僕は結婚して家を出るのですが、その後もずっと両親と一緒に実家で暮らしてきたポチくん。同じく僕が飼っていた雑種猫のドラちゃんも一緒です。
ドラちゃんは僕が結婚した時に連れて一緒に家を出たんですが、環境の変化に体調を崩してしまって結局実家に戻り、両親にとってかけがえのない存在になったため継続して今でも実家暮らしです(^^)
昨年の誕生日で14歳になり、コテンとコケることも多くなったポチくん。
1か月ほど前だったでしょうか。
「歳かねぇ」なんて言ってたのですが、ある日急に後ろ足が立たなくなり通院しました。それがだいぶ良くなってきたかなというタイミングで今度は前足。同時に腎臓も心臓も良くないことがわかりました。
それから僅か2日くらいでしょうか。
「意識があるうちに会いに来てあげて」と実家から連絡があり、昨日の夜、仕事が終わってから急いで実家に向かいました。
もう寝たきりで、声を出すことも、目を閉じることも、舌をペロペロすることもできなくなったポチくん。喉を通らなくても吸収できるということで、唇にぶどう糖を溶かしたお水や水素水をつけてあげました。最初は口を開けて軽い痙攣のような動きをしていたポチくんですが、しばらくするととても穏やかな表情になりました。まばたきすることも目を閉じることもできないのでずっと開きっぱなしなんですが、それでも「あ、今起きてるな」とか「今は寝てるな」っていうのがわかります。声を掛けたり、顔をのぞき込んだりすると、本当に僅かですが目が動いたり、口元が動いたりするんです。
「今日の病院の帰り、ポチくんがよくお散歩で歩いたコースや公園を車で走ってきたんだ」と母がいいました。うちは貧しい家庭だったのですが、「ポチが慰めてくれたおかげで今まで頑張ってこれたよな、って2人で話したんだ」と父が言いました。
母がうどんを作ってくれました。
醤油と出汁と塩だけの、懐かしい味でした。
ポチくんに声を掛けて帰ってきました。
「週末にそうちゃんやつぐちゃんを連れてまた会いにくるから、それまで頑張って待っててね」
家に帰って夜中、すごい腹痛に襲われて目が覚めました。
トイレに行ってまた布団に戻り、時計を見たら2:36でした。
あさ起きたら、父からLINEが来てました。
届いていた時間は3:05で「ポチくんが亡くなりました」と書かれていました。
ちょうど僕が起きた時間あたり。
最後に挨拶にきてくれて、僕を起こしたんだなと思いました。
今日は朝から、ぷっちょを連れて実家に行ってきました。
ポチくんに最後のお別れのあいさつです。
母の友人達が集まってくれました。母はいいお友達をもったなぁと思いました。
「ポチ、ポチ」って、「寂しくなるね」って、声を掛けてくれました。
本当は火葬まで一緒にいてやりたかったんですが、僕は仕事です。
これを書いてるついさっき、姉から
「今火葬が始まったよ」
「パパもママも、火葬台に乗せた時に泣いてたよ」
「何回もポチくんを抱きしめて顔すりすりしてお別れできたよ」
と連絡がきました。
腎臓が悪い子は、最期本当に苦しみながら亡くなる子も多いと聞きます。うちのプンちゃんなど腎臓で亡くなった子は幸いにも眠るような最期でしたが、両親は病院で「酷い痙攣が続くかもしれない」とお医者様から言われていたそうなので、最期静かにすぅっと亡くなって安心したという気持ちもとても強かったようです。
去年の年末、突如実家の隣家が全焼した時には母やドラちゃんと一緒に救助隊に助けてもらったポチくん。一緒に公民館に避難させてもらいました。その頃からもう早く歩くこともできませんでしたが、頑張って一生懸命歩きました。僅か半日ほどでしたが、慣れない避難所生活も頑張りました。
思い出はいっぱいありますが、ポチくんと一緒に約15年くらしてきた両親には寂しさを乗り越え、これからは天から注がれるポチくんの眼差しと愛情を受けながら暮らして欲しいと思います。
ポチくん、今まで本当にありがとう!!
これからは天国で、大好きな煮干しやスイカを食べて思う存分走り回ってね!!!
真っ白い顔が特徴のポチくん。
15年前、僕がペットショップで働いていた時に、お店に入荷されてきました。
店頭に並んだ直後から人気者になり 多くのお客さんが「かわいいかわいい」と言ってくれるのですが、物珍しさで注目を集めるも結局「飼いたい」という人は現れませんでした。
そこで僕が飼うことを決意。
当時の専務に「私が買います」と申し出ると、「あぁ、あのミスカラーの仔ね」とかなり安い価格で譲ってくれました。賛否あれど血統や色、模様の入り方で値段が変わるこの世界。ポチくんが白い顔で生まれてきたのは、きっと我が家に来るためだったんだと思います(^^)
その数年後 僕は結婚して家を出るのですが、その後もずっと両親と一緒に実家で暮らしてきたポチくん。同じく僕が飼っていた雑種猫のドラちゃんも一緒です。
ドラちゃんは僕が結婚した時に連れて一緒に家を出たんですが、環境の変化に体調を崩してしまって結局実家に戻り、両親にとってかけがえのない存在になったため継続して今でも実家暮らしです(^^)
昨年の誕生日で14歳になり、コテンとコケることも多くなったポチくん。
1か月ほど前だったでしょうか。
「歳かねぇ」なんて言ってたのですが、ある日急に後ろ足が立たなくなり通院しました。それがだいぶ良くなってきたかなというタイミングで今度は前足。同時に腎臓も心臓も良くないことがわかりました。
それから僅か2日くらいでしょうか。
「意識があるうちに会いに来てあげて」と実家から連絡があり、昨日の夜、仕事が終わってから急いで実家に向かいました。
もう寝たきりで、声を出すことも、目を閉じることも、舌をペロペロすることもできなくなったポチくん。喉を通らなくても吸収できるということで、唇にぶどう糖を溶かしたお水や水素水をつけてあげました。最初は口を開けて軽い痙攣のような動きをしていたポチくんですが、しばらくするととても穏やかな表情になりました。まばたきすることも目を閉じることもできないのでずっと開きっぱなしなんですが、それでも「あ、今起きてるな」とか「今は寝てるな」っていうのがわかります。声を掛けたり、顔をのぞき込んだりすると、本当に僅かですが目が動いたり、口元が動いたりするんです。
「今日の病院の帰り、ポチくんがよくお散歩で歩いたコースや公園を車で走ってきたんだ」と母がいいました。うちは貧しい家庭だったのですが、「ポチが慰めてくれたおかげで今まで頑張ってこれたよな、って2人で話したんだ」と父が言いました。
母がうどんを作ってくれました。
醤油と出汁と塩だけの、懐かしい味でした。
ポチくんに声を掛けて帰ってきました。
「週末にそうちゃんやつぐちゃんを連れてまた会いにくるから、それまで頑張って待っててね」
家に帰って夜中、すごい腹痛に襲われて目が覚めました。
トイレに行ってまた布団に戻り、時計を見たら2:36でした。
あさ起きたら、父からLINEが来てました。
届いていた時間は3:05で「ポチくんが亡くなりました」と書かれていました。
ちょうど僕が起きた時間あたり。
最後に挨拶にきてくれて、僕を起こしたんだなと思いました。
今日は朝から、ぷっちょを連れて実家に行ってきました。
ポチくんに最後のお別れのあいさつです。
母の友人達が集まってくれました。母はいいお友達をもったなぁと思いました。
「ポチ、ポチ」って、「寂しくなるね」って、声を掛けてくれました。
本当は火葬まで一緒にいてやりたかったんですが、僕は仕事です。
これを書いてるついさっき、姉から
「今火葬が始まったよ」
「パパもママも、火葬台に乗せた時に泣いてたよ」
「何回もポチくんを抱きしめて顔すりすりしてお別れできたよ」
と連絡がきました。
腎臓が悪い子は、最期本当に苦しみながら亡くなる子も多いと聞きます。うちのプンちゃんなど腎臓で亡くなった子は幸いにも眠るような最期でしたが、両親は病院で「酷い痙攣が続くかもしれない」とお医者様から言われていたそうなので、最期静かにすぅっと亡くなって安心したという気持ちもとても強かったようです。
去年の年末、突如実家の隣家が全焼した時には母やドラちゃんと一緒に救助隊に助けてもらったポチくん。一緒に公民館に避難させてもらいました。その頃からもう早く歩くこともできませんでしたが、頑張って一生懸命歩きました。僅か半日ほどでしたが、慣れない避難所生活も頑張りました。
思い出はいっぱいありますが、ポチくんと一緒に約15年くらしてきた両親には寂しさを乗り越え、これからは天から注がれるポチくんの眼差しと愛情を受けながら暮らして欲しいと思います。
ポチくん、今まで本当にありがとう!!
これからは天国で、大好きな煮干しやスイカを食べて思う存分走り回ってね!!!
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