2015年9月6日、JRAの藤田伸二騎手が騎手免許取消願を提出しました。6日(日)の札幌7Rに騎乗し終えて引き揚げてくるや、そのまま騎手免許取消願をJRA裁決委員に手渡したそうです。
この度の報道で「突然」という言葉がよく使われているようですが、ファンの間では決して突然ではなかったと思います(数分前まで競馬に乗っていた騎手が急に免許取消願を手渡すという意味では「突然」ですが)。この藤田騎手の引退にとって、「エージェント制度」というワードが大きな大きな鍵になります。
昔は、新人時代は厩舎に所属して先輩ジョッキーの靴磨きから始まり、その厩舎の持ち馬やお世話になっている馬主の馬に優先的に乗せてもらいながら騎乗技術だけではなく人情や人との繋がりを築いていく・・・という時代でした。中舘元騎手(現調教師)のように自ら各方面に頭を下げに出向き、調教師や馬主との信頼関係を地道に築いて自分の騎乗機会を増やしていくというセールス上手な人もいましたが、2006年に「エージェント制」が導入されてからは、騎手自身が営業活動しなくても専属エージェントが騎乗馬を見つけてきてくれるようになりました(当然そこには対価が発生します)。非常に乱暴な言い方かもしれませんが、騎手の人脈や人望・騎乗技術やセンスで馬を勝ち取っていく時代ではなく、有力なエージェントをつけた騎手がより良い乗り馬を得られる時代にシフトしたのです。ただ勘違いしてはいけないのは、有力なエージェントを雇える騎手はそれだけ素晴らしい技術も持ち合わせているということです。「不公平な制度」と言い放ってしまうのはあまりに危険だと僕は思います。
藤田伸二騎手はこの「エージェント制」に対して自身の著書などで問題提起し続けてきました。私生活は少々破天荒でしたが人情を大切にし、レースでは高い騎乗技術とフェアでクリーンなスタイルを身上として貫いてきた藤田騎手は、「己の身体と技術で乗り鞍を勝ち取っていく」ということにこだわり続けたのでしょう。
(藤田騎手がファンに宛てた引退メッセージ全文はコチラです)
僕個人の意見としては、エージェント制は決して悪いことばかりではないと思います。岡部幸雄元騎手がJRA所属騎手として初めてエージェントをつけたと言われていますが、それによって「レースや調教に集中する時間が増えた」というメリットがあったようです。新人騎手も、現代では時代遅れとも言える「絵に描いたような下積み生活」が無くなりました。しかしそれは時に、人間としての自分を磨くという機会を減らしてしまったのかもしれませんが・・・。一言で「時代が変わった」と言ってしまえばそれまでなんでしょうけど。。。難しい問題がまだまだありそうですね。
さて!!
そんな漢・藤田と言えば、18頭中17番人気という低評価でまさかの圧勝を演じたタケノベルベットとのエリザベス女王杯や、デビューから僅か3戦目のフサイチコンコルドの背から驚愕の末脚を引き出し、武豊のダンスインザダークを封じて制した日本ダービーなどが有名ですが、、、
僕の中での藤田と言えば1994年の京都新聞杯。。。
皐月賞とダービーを圧勝したナリタブライアンが、3冠馬の勲章を賭けた菊花賞の前哨戦に選んだのがこの京都新聞杯でした。まだ競馬2年目だった僕はナリタブライアンのその強さと美しさにすっかり虜になり、まさか前哨戦で彼が負けるわけがないと思っていました。単勝オッズはなんと1.0倍。。。
最終コーナーを廻って大外からブライアンが先頭に並びかけ、さぁここからエンジン全開だ!と思ったところに最内からスルスルと藤田とスターマン。ブライアンのエンジンはかかることなく、藤田とスターマンの前に屈することとなったのです。ゴール板を一番で駆け抜けた藤田は馬上で渾身のガッツポーズ。僕の頭の中は真っ白・・・。20年以上に渡る競馬観戦の中で幾度となく涙を流してきた僕が、初めて競馬で泣いた瞬間でした。。。
この動画は違う人が実況ですが、テレビ中継の杉本清さんの
「内からスターマン!ブライアン、ピンチ!苦しい!変わった〜!・・・・スターマン!・・・・」
という絶句混じりの実況が今でも耳から離れません。。。
大レースで大仕事をやってのける心臓の強さ!しかも馬の上では常にフェアでクリーン!!僕の中ではずっとそんなイメージだった漢・藤田伸二騎手。僕が最後に彼の雄姿を見たのは、引退7日前の8月30日札幌9R石狩特別。カゼノドリームに跨る姿でした。
引き際が藤田らしいという気もしますが、やはり何にせよ、最後に不満を言いながらいなくなってしまったのは残念だし悲しいです。。。
超がつく一流ジョッキーがまた一人、ターフを去りました。
藤田伸二騎手、お疲れ様でした!そしてありがとうございました!!
この度の報道で「突然」という言葉がよく使われているようですが、ファンの間では決して突然ではなかったと思います(数分前まで競馬に乗っていた騎手が急に免許取消願を手渡すという意味では「突然」ですが)。この藤田騎手の引退にとって、「エージェント制度」というワードが大きな大きな鍵になります。
昔は、新人時代は厩舎に所属して先輩ジョッキーの靴磨きから始まり、その厩舎の持ち馬やお世話になっている馬主の馬に優先的に乗せてもらいながら騎乗技術だけではなく人情や人との繋がりを築いていく・・・という時代でした。中舘元騎手(現調教師)のように自ら各方面に頭を下げに出向き、調教師や馬主との信頼関係を地道に築いて自分の騎乗機会を増やしていくというセールス上手な人もいましたが、2006年に「エージェント制」が導入されてからは、騎手自身が営業活動しなくても専属エージェントが騎乗馬を見つけてきてくれるようになりました(当然そこには対価が発生します)。非常に乱暴な言い方かもしれませんが、騎手の人脈や人望・騎乗技術やセンスで馬を勝ち取っていく時代ではなく、有力なエージェントをつけた騎手がより良い乗り馬を得られる時代にシフトしたのです。ただ勘違いしてはいけないのは、有力なエージェントを雇える騎手はそれだけ素晴らしい技術も持ち合わせているということです。「不公平な制度」と言い放ってしまうのはあまりに危険だと僕は思います。
藤田伸二騎手はこの「エージェント制」に対して自身の著書などで問題提起し続けてきました。私生活は少々破天荒でしたが人情を大切にし、レースでは高い騎乗技術とフェアでクリーンなスタイルを身上として貫いてきた藤田騎手は、「己の身体と技術で乗り鞍を勝ち取っていく」ということにこだわり続けたのでしょう。
(藤田騎手がファンに宛てた引退メッセージ全文はコチラです)
僕個人の意見としては、エージェント制は決して悪いことばかりではないと思います。岡部幸雄元騎手がJRA所属騎手として初めてエージェントをつけたと言われていますが、それによって「レースや調教に集中する時間が増えた」というメリットがあったようです。新人騎手も、現代では時代遅れとも言える「絵に描いたような下積み生活」が無くなりました。しかしそれは時に、人間としての自分を磨くという機会を減らしてしまったのかもしれませんが・・・。一言で「時代が変わった」と言ってしまえばそれまでなんでしょうけど。。。難しい問題がまだまだありそうですね。
さて!!
そんな漢・藤田と言えば、18頭中17番人気という低評価でまさかの圧勝を演じたタケノベルベットとのエリザベス女王杯や、デビューから僅か3戦目のフサイチコンコルドの背から驚愕の末脚を引き出し、武豊のダンスインザダークを封じて制した日本ダービーなどが有名ですが、、、
僕の中での藤田と言えば1994年の京都新聞杯。。。
皐月賞とダービーを圧勝したナリタブライアンが、3冠馬の勲章を賭けた菊花賞の前哨戦に選んだのがこの京都新聞杯でした。まだ競馬2年目だった僕はナリタブライアンのその強さと美しさにすっかり虜になり、まさか前哨戦で彼が負けるわけがないと思っていました。単勝オッズはなんと1.0倍。。。
最終コーナーを廻って大外からブライアンが先頭に並びかけ、さぁここからエンジン全開だ!と思ったところに最内からスルスルと藤田とスターマン。ブライアンのエンジンはかかることなく、藤田とスターマンの前に屈することとなったのです。ゴール板を一番で駆け抜けた藤田は馬上で渾身のガッツポーズ。僕の頭の中は真っ白・・・。20年以上に渡る競馬観戦の中で幾度となく涙を流してきた僕が、初めて競馬で泣いた瞬間でした。。。
この動画は違う人が実況ですが、テレビ中継の杉本清さんの
「内からスターマン!ブライアン、ピンチ!苦しい!変わった〜!・・・・スターマン!・・・・」
という絶句混じりの実況が今でも耳から離れません。。。
大レースで大仕事をやってのける心臓の強さ!しかも馬の上では常にフェアでクリーン!!僕の中ではずっとそんなイメージだった漢・藤田伸二騎手。僕が最後に彼の雄姿を見たのは、引退7日前の8月30日札幌9R石狩特別。カゼノドリームに跨る姿でした。
引き際が藤田らしいという気もしますが、やはり何にせよ、最後に不満を言いながらいなくなってしまったのは残念だし悲しいです。。。
超がつく一流ジョッキーがまた一人、ターフを去りました。
藤田伸二騎手、お疲れ様でした!そしてありがとうございました!!
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